雑 記 帳

2.000年から書いていた今までの「随筆コーナー」は、2014年9月を持って閉鎖致しましたが、自分自身のボケ防止も兼ねて、類似のコーナー「雑記帳」を設け、随時思いつくままを書いております。一読の価値のない駄文ですが開いて頂ければ有り難いです。

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ジャンケン            2018.3.31

拳はもともと中国で起こったもので、二人が向き合いながら手や指先の変化で勝負を争う酒宴での座興だったそうだ。それが江戸時代元禄初期に日本に伝わり、ジャンケンのような変種が考案されたという。

石挙(いしけんが) 石挙(じゃくけん)となり、ジャンケンになったようだ。
日本人の考え出した挙は、三すくみになっているのが特色で、石・鋏・紙で勝ち負けを決める。一回で勝負がつくこともあるが、あいこで何回も続くこともある。

三者のうちどれが強いということはないが、「丁・半」や「表・裏」のような二つの対立関係ではなく、"3"であることにより、他のひとつには勝が、もう一つには負ける状況が嬉しい。

余計なものが一つ加わった御陰で、真剣にもなり、笑いも伴うゆとりが生まれる。おおらかな日本人に似合うような気がする。

「勝っても負けても怒りっこな・・・し」

子供も大人もくじ引きで決まったことととは少し違った面白さ、楽しさをが感じられませんか????

(子田歯科医院の奥様発行「お茶の時間」よりお借り致しました。了解済み)
 

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お隣中国のトイレ事情(2017.12.18)関連   2018.1.6

下々のことを書いてきたが、私が愛読している新潟日報に、昨年末12月28日共同通信発で・「中国「トイレ革命」加速・と題してコラムが載っていた。
習近平国家主席が掲げる目玉政策のひとつで、観光地だけでなく農村も良くしようと指示されているという。

さもありなん、私が訪問した国宝級の観光地でも、以前に書いたような劣悪な状態では、経済はアメリカに次いで二位だなどとう嘯いていても、おかしいと思っていたが、国家施策として改善すると言うからトイレ環境は良くなっていくと思う。
参考の為に内容は次ぎのようです。






歌は詩を大事に                           2018.1.2

私はNHKの紅白歌合戦は久しく見ていない。なぜならば、今時の歌は飛んだり跳ねたりしていて、ダンスを見せるのが目的なのか、歌・詩を聞かせないために、私の耳には喧しいとしかインプットなれない。従って今時(いまととき)の歌にはついて行かれないのだ。

今回は民放の「クイズ番組」を見ていたが面白かった。番組を見ていて気がついたことは、出題の殆どを私は分からなかったことだ。

その筋の権威のある所から選抜された人達と違って当たり前と、割り切って見ていたが、この世に生きていくために必要でも無い問題を、良く回答できるものだと感心たり驚いたりであった。

早押しクイズの類(たぐい)は若い人には勝てないようだ。高学歴の年配者の人達も、脳組織の回転は、若い人には叶わないものだと思いながら見ていたが、それはしかたのないことで老化なのだと感じた。

翌元日に、妻が録画して置いた「紅白歌合戦」をみたが、冒頭に書いたとおりでなんの感動もなく、唯々喧しいくらいにしか感じなかったが、これも老齢現象なのかも知れない。

私は訴える
「演歌でも何でも良い、昔のように歌の中の詩を大事に歌ってもらいたい」のだ。

昨年同時期の「NHK紅白」関連記事を見る・・・・・クリック


「貴乃花場所」
                        2017.12.29

貴乃花騒動は、最後に貴乃花に懲罰を与えて終わったように見えるが、本当に終わったのかは疑問だ。このような問題は、私如きが口をはさむのは失礼だが、どうもしっくりしない。協会内のイザコザがハッキリしてくるのは日時の問題で、何れはどちらが正しかったかが分かるだろうから、それを待つことにする。


今年の漢字一字「北」について                2017.12.26

一年は早い。2017年も終わりもう直ぐ新年だ。
昔は一年を振り返って、等と生意気な事を考えたこともあったが、人間そんなに簡単に己を制することなどできないもののようだ。結局は何もせずズルズルと惰性で85才まで生きて来た。

本来人間世界は勝手なもので、自ら不利となると何でもやるものだ。やるからには自ら勝手に大義名分をつけ、どんなに悪いことでも正義の名の下に大罪を犯しているのは、歴史をみれば明らかだ。

今にして考えると、子供の頃から正義だと教えられて来た殆どを疑問視している。
大体権力者の言うことは、その時点では正義であると、国民の命の尊さなど考えずに権力に従わせることは、洋の東西皆同じである。

私は今懸念していることは、北朝鮮が国際連盟から激しい制約を付けられ、世界の国々から、貿易などいろいろの面から締め付けられることになるが、その結果はどうなるかがが心配だ。

カッテ70年前に我が国が国際連合を脱退し、中国へ侵略を行ったが、そのときも世界からABC包囲網により締め付けられ、ちっぽけな経済力の日本が、勝つ当てもない戦を米英に対し仕掛けて、大きな犠牲を払って負けた。そのときの大義は何だったか「聖戦」である。

あの時代を生きてきた私は、北朝鮮に味方をするわけではないが、、核とロケットを持った北朝鮮の指導者か、アメリカ大統領が、発射ボタンを押したその瞬間を想像すると、新年も安心していられない気持ちになる。

次号は北朝鮮は「労働者の天国」か



白鵬関の張り手、かちあげ                 2017.12.22

相撲界の大混乱の中で開かれた「横綱審議会」が、

「横綱白鵬の「張り手」「かちあげ」は、横綱相撲らしくない」と注文をつけた。

やはり見ている人はいるのだ思ったが、この件を私は数年前に本コーナーで取り上げたことがあり、去る12月13日にも掲載したが、

横綱が下手に対して張り手を喰わせるなど、老爺のせいか見ていられないのだ。かっての大横綱大鵬関や先々代若乃花関の張り手など見たことがなかった。

私はこの横綱白鵬の取り組みを見ていて、
「横綱相撲の品位が下がった」ものだとみていたが、この横綱審議会の発言で、同じ考えを持っていた人が沢山いたことを確認した。

しかし、相撲公認の手であるものを、白鵬にだけ禁ずることができるのか、そこの所は分からないが、立派な横綱相撲を見せてもらいたいものだ。



お隣中国のトイレ事情          2017.12.18

このコーナーも書き始めると、いろいろのことが関連付けられて、書くことはあるものだ。

2017.12.17付けで「下らない話」を掲載したが、今日の新聞(新潟日報)朝刊に「大連晩報」の記事「市内観光地進むトイレ革命」のタイトルで、観光客を呼ぶには”トイレ革命が必要の書き出しが目にとまった。

要約するに、観光喧伝すると観光客が増えるが、その対策としてトイレの設置が着々と進められている。と言う内容であった。

なんで今頃トイレ革命かと問いたいが、国も大きく人口も13億人の国のことだ、下々のことまで手が回らないのだと思う。

私は、以前西安上海へ旅をしたが、その際名所旧跡に案内され、驚いたのは国宝旧跡そのものではない。それは日本では考えられないほど不潔なトイレだった。
男性は立ったままできるから何とか凌いだが、女性の皆様は用を足すことができず、案内嬢に、不平をまくし立てていたあの光景を思い出した。

観光客が超多数集まる所には仮設トイレが設備されていたが、あの汚いトイレを考えると、二度と中国への旅はしなくて良いと思い、その後一回も行っていない。

添乗員にこの話をすると「日本だって昔はこうだったでしょう」と無下もない返事が返ってきた。私は農家の生まれであり、確かに当時の田舎のトイレ事情はよく分かるが、今見てきたような光景ではなかったし、現在は昔の姿を見ることもできないほどトイレ環境は大きく変わっている。

この記事を書いていると、30年くらい前に、新聞記事で「中国北京でトイレ指導員配置」と書かれていたことを思い出した。
劣悪なトイレ環境は当時からのもので、その対策として、国の中心都市北京に様式トイレを設備し、その利用方法が分からない庶民に指導していたのだと考えられる。

私は、初めて外国の旅はニューヨーク・ワシントンだったが、トイレ利用は有料だった。価額は忘れたが、なにがしかのお金を払って所用をたしていた。
外国は用を足すにもお金が要るのかとビックリした経験があり、その後ヨーロッパや豪州でも有料だったが綺麗な環境であった。

出物腫れ物と称し 出るものは出さなければならない。多少の出費は我慢できるが、経験した中国のトイレの異常は忘れることができない。

中国は目下トイレ環境改革中のようだが、頑張ってほしいものだ。



サッカー日本チームハリルホジッチ監督敗戦の弁   2017.12.17

サッカー 東アジアE―1選手権(男子) 第3戦 日本1―4韓国で敗戦した、ハリルホジッチ監督の敗戦会見が気に掛かる。

「こんな弱いチームは見たこともない・・・。」

と、報道されているが、自分のチームが大敗しているのに甚だ無責任な発言だ。
今回は国内組のみの出場だが、それは自分で決めたことであり、結果は受け入れなければならないのではないか。敗戦の弁にしては気に掛かると所だ。ワールドカップ大丈夫か!!??



下らない話         2017.12.17

このところの寒波襲来で各地に雪を降らせているが、TVに京都「金閣寺」の雪景色が映し出されていた。その景色は実に美しく神々しさを感ずるほどであり、当時の建築技術とその造園の素晴らしさを感じ入った次第であります。

甚だ不謹慎だが、金閣寺はカタカナで書けばキンカクジとなり、ジの濁点をとるとキンカクシとなり、神々しさから下々の話になる・・・などと、下らないことを考えていた。

「金隠し」とは、以前の和製トイレの前部にある小高いところを指し、今は殆どが腰掛け式の様式に変わり、今まで当たり前であった懐かしい「金隠し」の和製トイレは見られなくなり、そのの名も忘れ去られていくだろう。

何事も、時の流れと共に消えて行く運命にあるものが多々あるが、これは例えが悪かったが、誰もがお世話になる大事な場所を、不謹慎を顧みず金閣寺の雪景色の放映をみて、思い出したので書いて見ました。  馬鹿ですね!!! 忘れて!!


相撲取りの騒ぎ   2017.12.13

今の相撲人気は、モンゴル勢と若手力士の台頭によって巻き起こっていると思っている。
モンゴル人の横綱3人も集まった宴席で、同じモンゴル出身力士を殴り、頭を9針も縫う大怪我をさせたというが。近頃の昼番TVはこの話題で大賑わいである。
この喧嘩の結論は経緯を見守ることにして、最近の横綱白鵬を見てみよう。

横綱白鵬が行司に文句を言ったり、表彰式で万歳の音頭をとったりと、今までに見たこともない光景が演じられているが、国技を守る協会は「厳重注意」程度の処分しかできないでいるのは情けない。自分が40回優勝したから、自らの力を鼓舞し自然に万歳の音頭をとったのか、果たして白鵬は万歳の意味を理解しているのだろうか。

これも日本人力士が弱いからだと思っている。やっと横綱になった稀勢の里も、大怪我を負い成績が残せなく、専らモンゴル勢に頼っているのが現状である。

勝負であれば強い方が勝つのは致し方のないことだが、私老爺は以前から気になっていることがある。それは「張り手」
「かちあげ」の技である。

特に横綱白鵬の取り組みに目だつのだ。公認された相撲の技である以上は、使うのは当たり前と言えば其れまでだが、角界最上位の横綱たる者が、下手の力士との取り組みでも殆どこの技を使っているが見苦しい。

そこで、以前故出羽の海氏の相撲解説を思い出す。
「上手の者は相手が嫌がる張り手等技は使わない事だ。」
と解説していた。実際に当時はこの手はあまり見なかったのも事実である。
要するに
「上位力士は下位力士に対して堂々と取り組むことだと」
言うことだろう。

張り手とはパンチである。私老爺も、戦中にパンチを受けたことを思い出す。其れはそれは痛く、一瞬は頭がクラクラした事だ。勿論力士と老爺とは体力も全く違うが、見ていて気持ちが良い景色ではない事は事実である。

40回目の優勝も良いが、もっ見応えのある相撲を見せて貰いたいと思うが、如何なものか!! 
それにもまして「日本人力士の台頭」を切に望むものである。



核による危険な平和    2017.12.12

もし核戦争が起きたら世界が全滅だ。
最近米国と北朝鮮国のトップが、明日にでも戦争が始まるような言葉の応酬が続いているが戦争が起きないのは何故だ。

そもそも両国が核戦争を危惧しての戦争回避だと思っている。北朝鮮が核と大陸間弾道弾を持った以上は、米国も簡単には北に戦争を仕掛けられないのだ。

毎日のように、思いつき発言で世界の話題を集めている米大統領も、核の引き金だけは引けないのだ。他に何かあるか方法はあるか、経済制裁もあるが、やり過ぎると過去の日本の軍部のように暴発しないとも限らない。

只危惧するのは、ボタン一つで世界中が破壊されるような、甚だ危険な時代になったことを憂慮する老爺である。
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米シリアへのミサイル攻撃は北朝鮮への威嚇か   2017.4.10

米トランプ大統領は、シリア内戦でシリア政府軍が化学兵器を使ったとして、巡航ミサイルで猛爆撃を加えた。自国民に対しガス兵器を使ったと思われるシリア政府軍も滅茶苦茶だか、これに直ちに反撃をした米側の戦闘行動も恐ろしい。

私の考えだが、国連決議に従わないで、ミサイルや核開発をしている北朝鮮への見せしめもあるように思いてならない。

トランプ大統領はオバマ前大統領とは違い、正に瀬戸際作戦を平気でやっているようで、危ない橋を渡っているやにに見える。
今後中国、ロシアなどが、どのように出てくるかが心配である。

狭い地球でなぜ争いは絶えないのか、際限のないミサイル開発や核開発など、なんのためにやっているのだ。
それは、それぞれの国が自国防衛のためと大義名分と銘打っているだけであり、人類史上危険きわまりない行為である。

考えても分かること、核戦争になれば、核保有国がそれぞれ核ミサイルを発射し、自国も巻き込まれて、大義名分である自国防衛手段等は到底できないのだ。

核戦争が始まれば、地球の生物の生存は不可能になると考えられるが。人類や生物のなくなった地球が、その後どのようになるかは想像できないが、人類を含めて生物の絶滅は避けられないのではないか。

このような大反(そ)れたことを、今の世紀に生きる人類の我々が行ってはならない。
一小市民である私は、考えても恐ろしいことだと思っている。
 
           



対北朝鮮で米国大統領の危険発言    2017.4.3

ニュースの伝えることによると、最近の北朝鮮(きたちょうせん)の挑発的な行動に対して、「中国(ちゅうごく)がやらなければ米国(べいこく)単独でも行動にでる」と、発言したと伝えている。
物騒なことにならなければ良いが、北の国の動きには不快な私も気になる発言である。
大事に至らなければ良いが。北の自粛を祈るのみ。




何が何だか分からない  2017.3.30

私立小学校設立問題で国有地払い下げの際、”8”億円の値引きに始まった問題で、学校側の元理事長は国会に証人喚問され、その発言は総理夫人まで波及し、自民党では宣誓して証言席に立った籠池氏を偽証罪で訴いる等と、国会では高い給料の人達がワイワイガヤガヤと大騒ぎしているが、事の真相はちっとも見えて来ないのが残念だ。

マスコミを通して私が感ずるのは
1、 一方のみを証人喚問をして、相手方も同じ席に立たせないでとりだした発言に対して、自民党は偽証罪で訴えるというがどうも納得がいかない。なぜならば、告発は議会であり、党が告発することは出来ない。

2、 なぜならば一方を同じ土俵に上げないで得た発言にどれほどの重みがあるのか、そうであるなら両者同じ土俵に上げて、事の真意を問うのが筋ではないのか。

3、 もし、このようなやり方が通ると恐ろしい事になる。自党に不満の分子を国会で承認喚問して、偽証罪で訴えて罪に落とし入れることも、可能になるのではないかと危惧する。

4、 韓国でも現職大統領が収賄罪で起訴されるかどうか(2017.3.30現在)の瀬戸際にあるようだが、我が国も襟を正して進んでいかなければ世界の恥になる。


年末番組「紅白」       2017.1.2

私は今年のNHKーTV紅白歌合戦を見なかった。
年令とともに紅白歌合戦を見なくなってきたが、今年は特に1回もダイアルを合わせなかった。

その原因は今の歌について行かれないこともある。この流(ながれ)は年令によるものなのかどうかは知らないが、今の歌手のマイクにかじり付くように近づけて飛び跳ねている様は、私から見るとみるに堪えないのだ。
歌うなら立って整然と歌って聴かせるべきで、舞台中飛び回って歌っている様は好まない。

では、紅白以外の何を見たかというと、民放で元政治家や有識者を集めた「知識チーム」と「芸能団チーム」と争うクイズ番組であった。面白く最後まで見て近くのお寺の除夜の鐘を聴いて年を越した。
NHKはこのような番組に飲まれてしまうのではないかと思う程であった。

又番組構成も面白く、クイズを答えらない人は元知事でも、まとめて十人単位で容赦なく席から外し、残った人達が答える、斬新的なところも私の気に入った。

NHK紅白も年年豪華になり、本命の歌などは何処へ行ったのかと思わせるが、もう少し歌を中心に作れないのかと何時も思う。
NHKも大幅の黒字のようだが、料金はいくら安くても文句を言う人はいないことを忘れずに。

女性大臣の一言の影響でキャスターの交代があったようだが、放送に政府の介入は許されぬことだ、一昔前の「大本営発表」の時代へ戻ってはならない。などと考えている爺である。

   
本年も宜しくお願い申し上げます

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オヤ!!??      2016.12.22

つい先日外出時の出来事、
先方から見たことのある男性が歩いてきた。
私は多分昔の職場の◯◯氏だと思い、
「◯◯さんお久しぶりです。御元気で」
と、声をかけると、彼の男性はジッと私の顔を見ながら
「失礼ですが何方様でしょうか」
の返事である。

おかしいな、、、私は◯◯氏だと思い込んでいるので
「私は△△です」
と自分の名前を告げると、相手は私の顔をジッと見ながら
「分かりませんね、、、??」
と、言うではないか。

見た目の風貌は昔の◯◯氏に間違いはない、この◯◯氏の弟W氏とは昔友達であり、会ったことがあるのに、私が分からないとは、どうしてたのだろうと、奇異に感んじたが、相手はなお私の顔をじろじろと見ているが分からないらしい。

これ以上の会話は無理と思って
「イヤイヤ人違いだったようです失礼しました」
と、お別れの挨拶をして分かれたが、私の心は収まらない。
私が見た限りでは、あの人は友達W氏の兄で、私より3才位上の◯◯さんに間違いない。なのに何故私を判別出来ないのか、、、、、??

あれから数日経つが今でも胸のもやもやは消えない。さりとて友人W氏に連絡するのもおかしいし、、、、などと思っている、、、、

私の人違いにより◯◯氏をビックリさせたのか、或いはその反対なのか、、、、
お互いに年令による呆け症状???・・なのか、この年になると気になる問題である。



方言(しかも)   2016.10.21

ある地元の人が、久しぶりに遠くから来た孫を連れて山へ茸とりに行ったときの会話。

アワタタケの群生を見た孫が、
「一杯ありますね。食べられるのですか」と爺さんに聞くと。

お爺さんは
「食べられるさ、しかも一杯出るキノコで食べると美味しいのだよ」
と答えた。

お爺さんの話を聞いた孫はビックリして、、
鹿もとれるのですか」と聞き直した。
今度はお爺さんがビックリして鹿は採れないよ。

シカモとは新潟で使う方言で、しかも(こんなに)沢山とか採れた。と言うような意味で使う。生きた鹿の話してはないと説明して、孫も納得したというお話でした。

方言はそれぞれの地方の宝です。大事にしましょう。
NHKの言葉だけが日本語ではないのです。


烏(からす)     2016.10.11

つい先日の話。
日中居間でTVを見ていると、隣の台所でバリバリ・カサカサ・・と物音がしたが、特別気にしないでTVをみていると、同じような異音が続くではないか。

これはただ事ではないゾ。鼠か狸か町内にいると言われるハクビシンかと戸を開けて台所に行くと、直ぐ目の前に黒い大きな鳥烏がいた。その瞬間烏は20cm位開いていた台所の狭い窓に向かって、一直線に飛んでいった正体は烏だ私はビックリし、我が家の台所へ烏が忍び込んだとは・・・。

早速被害状況を調べると、食パン1ケースのビニールが所々破れていた。そうか奴はこのビニールを破ってパンを食べる予定だったのか。その音だったのかと分かった。

泥棒対策は時々交番のお巡りさんが訪問されて防犯の注意を喚起されていくが、それは人間の犯罪であり、当然のことだが烏の犯罪までは言っていかない。今回の小事件は烏が台所の開いた窓から侵入してきたのであり、その意味でも戸締まりは大事なことである。

驚いてばかりはいられない、硝子窓は20cm位空けてあり、合わせて網戸も開いていたのが原因である。戸締まりは「人間泥棒」だけではない、これからは烏対策にも気をつけねばならないと思うほど、烏と人間の距離は縮まっているようである。

居間に戻ると家の前の電線には4羽の烏があざ笑うように、「カァカァ・・・」笑って(鳴いて)いたが。私の心は烏には分からないだろう。

山里では熊の被害が頻繁に起きているが、ゴミ収集の関係で烏との距離も近くなったようだ。

以上が10月上旬に烏に侵入されたお粗末なお話でした。



歳はとりたくない   2016.8.21

昨日喉の具合がおかしく耳鼻咽喉科に向かった。
診察室に入って椅子に座ると

女医先生が
「付き添えの方はいらっしゃらないのですか」と問いかけてきた。

この言葉が気になった爺は
「私をぼけていると思うのですか」
と思わず反撃した。

女医先生
「家庭のことなどを聞くきたくて・・・」と言うではないか。

爺は
「まだ呆(ぼ)けてはいないですよ先生・・・失礼ですね」と反撃した。
とっさのことだが、初めて問えかけられたこの言葉、「呆け」と思われたのに立腹して先生の顔を見返した。

先生はいろいろと言い訳をしていたが、私の耳には入らなかった。

その後、喉のカメラ撮影など一連の診察はおわり、
「何でもありません。今まで通りの生活をして下さい」
と、言われて診察は終わったが、歳老いた我が胸中は中々収まらなかった話。

自分は若いと思っていても、周囲ではそのように見ているのかと思うと・・・人生の儚さを感じているが歳はとりたくないですね。

実年齢84才の元青年の嘆きでした。

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真実は和歌を通して     2016.8.18


「大臣らは 何をかなせし 国民を

           欺く外に何をかなせし」
      堀口大学


秀歌とは呼べなくとも、大学の「反骨の歌」としてあげよう。無能な為政者のため、国民はどれだけ苦しんできたかと詰問調。終戦の翌年である (新潟日報より)

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「新潟日報」2016.8.17水曜の一面トップに小さな「文化の記録欄」があるが、終戦記念日を過ぎた17日にこの記事が掲載さされた、私はこれを詠み一挙に71年前のあの頃、勉強もせずに勤労動員に明け暮れていた14才の軍国少年の頃を想い出した。

今、憲法改正再軍備が叫ばれ、昔へ回帰する機運が進んでいるが、当時を経験した少年は、戦争敗戦の実態を堀口大学先生のこの歌が全てを表していると思い、掲載させたもらった。

又、夕方この記事を見た妻も満州引き揚げ者だ、引き上げの苦労は身に染みている。
「お父さんこの歌はあの頃を物語っていますね」と問いかけてきた。

あの恐ろしい時代を生きた一人として、「右回帰を叫んでいる諸君の多くはあの惨い経験はない人達だ、何時の時代も勇まし発言は格好いいものだ。憲法改正の一言も公約せずに参議院選で多数を獲得し、その勢いで一挙に憲法改正へ進む計画のようだが問題だ。

敗戦により「1億総懺悔」をしたあの時代を生きた人達も少なくなって来ている現在、あの悲惨な時代に戻らないためにも、大臣諸侯や国政を預かる人達よ!!堀口大学先生のこの歌を詠んでもらいたいものだ。



春山(はるやま)散策を思う    2016.5.5

毎年5月には連休が巡ってくる。野も山も人も寒い冬から解放されて、山々は新緑に変わるこの季節は、私のような雪国生まれで雪国育ち人間には、冬ごもりから開放され、自然の有り難さを享受できる季節である。

自動車運転免許を返上した今では、以前のように自由に各地を散策することはできないが、この季節が来ると、あのもえぎ色に変わった山々を懐かしく思い出すのである。

山々の木々が新芽を吹き出し、山全体がもえぎ色にかわり、ウツギも咲き乱れて心を和ませてくれる新緑は目にも優しい季節だ。山の景色は秋の紅葉も良いが、春山(はるやま)の景色もまた格別なものだと感じている。

以前は毎年のように、親友と山の幸「ワラビ」を求めてこの春山(はるやま)へ行った。場所は決まって新潟県と山形県の県境近くのやや高い山々で、熊避(よ)けの鈴を腰に付けててワラビ採りをしたものだ。

食べて美味いワラビは山の傾斜面に生えていて、しかし、この良いワラビを採るのは危険作業である。滑り落ちないように小枝につかまりながら、傾斜面を下ったり昇ったりして採る。谷底まで下って、同じルートを昇ってみると取り残しが随分あるものだ。それは見る角度により木の葉に隠れて、見えないところに生えたいるものが取り残しとなる。

特に籔(やぶ)の中には太くて背丈も高いワラビが生えている。それは一緒に生える雑草と生存競争しながら伸びていくためだと聞いた。自然の中でも生存競争をしながら種を残しているのである。

いつも山に入って目にとまるのが、山の斜面一面ブナ林の中に、特に強い緑色の区画が所々にあることだ。これは戦後政府の方針でブナ林を伐採して、杉を植林した区画である。ブナは萌葱色に色つくが、杉は年中緑であり景色としての変化はあまりない。

山に行く都度考えていたことだが、なぜこんな山奥にまで杉の木を植林する必要があるのかと不思議に思っていた。植林された杉林に入ると、元気な杉は太く一直線に天まで伸びる勢いだが、その間に生長を止められたように細い杉の木が生えているところが随所にある。

隣の杉の木に比較して細くヒョロヒョロとしていて、枝振りも元気がない杉の木も、同じ時期に等間隔に植えられたものと思われるが、自然の生存競争に負けた木々である。

人間だけではない。植物の世界でも自然の中で生存競争が行われているのだ。本来ならば成長しない木々は人間の手により伐採して、元気な杉の木の枝払いをして、生長を助けてやらなければならないが、日本経済は植林された頃と変わった。建築用に植林された木々の手入れをする人出がいなくなったのである。

現状は日本の杉より外国からの輸入材の方が安いために、国産建材の売れ行きが悪く、昔あった林業が廃れて杉山の手入れをする人出がいなくなっていった。その結果枝おろしをしない木々は、大きくなると枯れた枝を包むように生長するために節だらけの木になって、良質の建材はとれないというという。

また、県境の山々を見て感ずることは、旧林野庁はなぜこんな山奥に自然のブナを伐採してまで、杉の木に植え替えるのか不思議に思っていたものが、今でもそう思っている。

元々ブナの木は根張りは広く土の土留めの役割をしていて、落ち葉は貯水ダムの役目を果たしていると聞いている。手で触ってみると、確かにブナ林の腐葉土がプカプカと厚く水分を含んでいるのが分かる。

それに比較して杉林の中に入っても、落ち葉がつくる腐葉土はなく土が丸だしである。これでは大雨が来ると、雨は土に染み込んで保水することができず、そのまま斜面を流れでて、下流の水位は一挙に上がって水害を発生させたり土砂崩れの原因になると考えても不思議ではない。

近ごろ映像の発達で、各地で発生した山崩れが放映されるが、注意して見るとその殆(ほとん)どが杉林に発生しているように見えるが、これも植林計画の失敗が生んだ結果でないかと思っている。

針葉樹の杉は年中葉が落ちることはないために林の中は年中鬱蒼としていて、地面にまで光が射さない。そのためか杉林の中に入ると、ほとんど草木が生えていない。

また、杉の木の根粘りは小さく、土留めの作用がないために土砂崩れの原因になると考えられていて、ブナの木のようなダムの作用は果たすことは出来ず、大雨はそのまま川に流れて行く、元々ブナの木は根張りも深くて広く土留めの役割をしていて、落ち葉は貯水ダムの役目を果たしていると聞いている。手で触ってみると、確かにブナ林の腐葉土がプカプカと厚く水分を含んでいるのが分かる。

杉林の中に入っても、落ち葉がつくる腐葉土はなく土が丸だしである。これでは大雨が来ると、雨は土に染み込んで保水することができず、そのまま斜面を流れでて、下流の水位は一挙に上がって水害を発生させたり土砂崩れの原因と考えても不思議ではない。

近ごろ映像の発達で、各地で発生した山崩れが放映されるが、注意して見ると杉林に発生しているように見えるが、これも植林計画の失敗が生んだ結果でないかと私は思っている。

針葉樹の杉は年中葉が落ちることはないために林の中は枝葉で年中鬱蒼としていて、地面にまで光が射さないくらいである。そのためか杉林の中に入ると、ほとんど草木がない。

また、杉の木の根粘りは小さく、土留めの作用がないために土砂崩れの原因になると考えられていて、ブナの木のようなダムの作用は果たすことは出来ず、大雨はそのまま川に流れて行く。

ブナ林に降る雨は、落ち葉の層に貯まって一挙に流れることはなく、自然のダムの役目をしているが、人間の都合で杉の木等に植え替えられた山々は、自然の法則から外れているために災いとなることを肝に銘ずべきである。等と考えながら深い山々に植えられた杉林を見ていつも感じていたものだ。

注・
今ではこの景色は見ることはできず、遠いあの頃を想い出して書いて見た。


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